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失意からはい上がる

1996年4月中旬私は、仕事先の契約上のトラブルに絡み、2千数百万の損害金?を払わ
なければならないと言う事態が生じた。法律的にどうなのか?本社が東京にある鹿児島の事業場である。私は、現地の事業場責任者から仕事を頂き、仕事をし、支払いもちゃんと受けていた。
しかしバブルがはじけ、その本社から銀行より派遣の役員から話がある、言うことで吹っ飛んでいった。内容は、一部の仕事に、現地責任者が本社の知らない決済で仕事を君にやっていた。従い、その件に関しては現地責任者の決裁権限でなく支払いを認めない、3年間さかのぼり金を返せと行ってきた。日頃懇意にして頂いた、現地責任者も本社に対し、なにも言えない。びびって
どうしようもない。銀行(確かさくら銀行)より出向のその役員は、やくざも同然であった。
脅し、怒り、威張り、息巻く、個室に詰め込んで、3人がかりで私に詰め寄る。
現地の責任者(Iさん)に金はやったことはないか?しょっちゅう遊んでいたのではないか、等々聴くに堪えないことまで言う、自分で本人に聴け!!
私は、不承不承ながら、現地責任者の立場(首になるのでは?)を重んじて、無謀な本社の言うことに、要求通り、2千数百万の金を現金で支払った。信頼も何もあったもんじゃない。この様な会社の仕事は、出来ない、契約を打ち切って、お別れしたのであった。この時、52歳私の大きな転機であった。この事業場での売り上げが、80%を占めていた。痛い、どうしよう?
建夫家を建て替える2年前50歳の時4千5百万円かけて、今の家を建て替えたばかりで、何でこんな大きな、金が最近絡んでくるのだろう家については自分の意志だが、こんな事で詰め腹切らされるとは、呆然とするのであった。この時私は、家内に1年間俺は働かない、しかし飯は食わしてくれと宣言、こうして私は、1年間朝寝、昼寝、し放題遊ぶこととなる、というか、今までがむしゃら働いて、持病の腰痛も悪化し、人生にギブアップ寸前であった。
この1年間の充電により、学び、反省し、また活力が出てくるのであった。この時期、車で家内と日本海側を北上するのんびり旅と、お袋を、四国高松に住む妹の所へ連れて行き。松山道後温泉、金比羅詣でと、親孝行もするのでありました。この頃お袋と、父に先立たれ、寂しい思いをしていただろうとよく話し合う機会を作り、励まし、又、いろいろ教えを受けた。母と飛行機に乗る
又、山崎豊子原作「大地の子」や「二つの祖国」など戦争を原因とし、自分ではどうにも出来ない歴史に翻弄される長編人間ドラマを読破をするのでした。このことが後に、私を北京。大連、旅順、上海と中国旅行に
掻き立てる、元となりました。
私の出生地、中国大連、ここで私は決意を新たに
することがありました。
この話は又後日、

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