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58才を迎えて 2002年9月23日

今にして思うと、よくぞここまで生きてきたと感無量の思いがします。中国の大連という異国の街で、終戦一年前の1944年9月20日生まれた植村建夫。生まれてまもなく肺炎にかかり、昔のこととて、良薬もなくただただアルコールで胸を湿布するだけのことであった、という葬儀の段取りまで進んでいたとつい先日なくなった母に昔聴いたことがある。その後も終戦に伴う、日本への引き揚げ逃避行での限りない苦難の道、小学校に入る前、肥溜めに落ちて死にそうになったり、庄内橋の川で暗渠用水管に吸い込まれそうになったり、飲酒運転で鹿児島より帰り、どこをどう走ったか全然覚えていない、といった法令違反も多々思い出してもぞっとすることがいっぱいあります。生きることに執着していたわけでもありませんでしたが、生かしておく訳ありと神様が判断、救いの手を差し延べてくれたものと思うしかありません。
19才の冬、社会人1年生の時、中部電力四日市火力建設所での課別マラソン大会で新入生として走ったのは良かったけれど、ゴールと共に、バタンキューそのまま三重県立塩浜病院で4ヶ月の入院生活。病名は心臓神経症という脳から心臓への収縮信号の速度が、普通の人の5割増しと遅く脈拍が、飛んだり、早くなったりと、事が心臓だけにこの時のパニックは大変な物でした。長生きは出来ない30か、40か、めいっぱい50かと勝手に思いめぐらし、自分の人生について真剣に考えた青春の思い出。

結婚、育児、都会生活への惜別、3人の子供も立派に成長し、それぞれ社会人として活躍してくれている。良いことはしてないが、悪いことも余りなし、とまあまあの人生を与えてくれるこの世の支配者の方にただただ感謝の他ない。願わくば後10年、イヤ20年元気で生かして下さることを御願いします。・・・・正すものは正し、悪いとこは正すことに努め、心身を鍛え、人様に迷惑をかけず誰とも仲良くし、家庭においてはいい旦那で、と確約は出来ないが、努力します。
皆様、私の今後の生き様にご注目下さり、何なりとご忠告、ご意見下さいませ。皆様と共に生きてゆける事に対し、皆様に深く感謝の意を表します。

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